41巻「関羽の不覚」のあらすじと感想
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死場所
○あらすじ
8月になり、河は雨で増水していた。魏軍は高台に陣を移していた。関羽軍が船や筏(いかだ)を作っていると聞いた成何(せいか)は龐徳に相談する。
○感想
敵の動きをおかしいと思っていた龐徳たちはさすがです。
名医名患者
樊城も関羽の水攻めで水浸しとなったが、それは幸いでもあった。関羽軍が遠くの高地に陣を敷いたからである。
ここを守る曹仁は、城を捨てて退却することを考えるが、それを満寵(まんちょう)が諌める。
満寵の言は説得力がありました。曹仁の愛馬はかわいそうでした。今回は名医・華佗(かだ)が登場します。華佗は周瑜の傷も治したことがありますが、このときも荒療治でした。
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建業評定
樊城が落とされれば、魏の都も危ない。曹操は遷都を考えるが、司馬懿が呉と結んで関羽を攻めることを提案する。
さすが司馬懿、情勢をよく見ています。しかし彼も関羽の備えが万全だとは思わなかったでしょう。
関羽と陸遜
呂蒙は孫権に計略を明かし、陸口(りくこう)の守りとして陸遜を推挙する。
陸遜は就任の挨拶として使者を関羽に送るが、陸遜が無名の将であり、へりくだっているのを見て関羽は油断する。
赤壁の戦いのとき、曹操は少しの油断が命取りになる。先輩もそうだったと語っています。例えば袁紹は、白馬・官渡の戦いで曹操に烏巣を焼き討ちされて滅びました。
関羽も知勇を兼ね備えた類まれなる武将ですが、その彼でも今回は油断してしまいました。それだけ陸遜の策が綿密だったこともあります。
81ページの呂蒙、さすがに陸遜の才能を見抜いています。85ページ、それでも隠密を出すのは関羽の慎重さを感じます。
荊州城陥落
呂蒙は、商人に化けた兵士たちを荊州に入れる。その結果、1番目ののろしはまんまと呉の支配下となってしまった。
呂蒙はのろし台の兵士に、恩賞を約束した上で次ののろし台を説得させて降服させる。
呂蒙はあっぱれな仕事の進め方です。のろしが荊州の守りの要でしたが、のろしをひとつも上げさせずに使い物にならなくしたのです。
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にわか雨
呉は悲願であった荊州の獲得を果たした。呂蒙は人心を安定するために、3か条の法律を公布する。
さすがは呂蒙、よく人心掌握術を心得ています。彼は孫権に学問をするように言われて、儒者顔負けの勉強をこなしました。
その彼を以前の無学な男だと思った魯粛が議論をしたところ、彼の博識に驚きます。そこで魯粛は、「また呉下の阿蒙にあらず」と言いました。昔の無学だった呂蒙とは変わったなあ、というわけです。
傅士仁と糜芳
荊州を落としても、まだ傅士仁(ふしじん)と糜芳(びほう)は城を守っている。そこで虞翻(ぐはん)が、幼馴染である傅士仁を投降させようと考える。
うーん、傅士仁も糜芳も相田みつをではないですが「人間だもの」という感じがしますね。たしかに損得で考えれば、投降するほうがよいですから。
大敗北
呉が荊州を落としたと知った魏は、徐晃軍が動く。まずは関平のいるエン城を攻める。
けっこう私は蜀びいきなので、蜀軍がやられてしまうとがっかりしてしまいます。
攻守転倒
徐晃軍に曹操軍も加わり、大軍が関羽の陣に迫った。関羽は出撃するが、樊城から出た曹仁軍に包囲を突破され、関羽軍はかろうじて襄陽に逃げた。
そこで、関羽は荊州が落ちたことを知る。しかたなく馬良と伊籍に成都に行って援軍を頼むように告げる。曹仁は襄陽も落とそうと考えるが、部下がこれ以上の深追いは不要と進言する。
つい先日までは関羽の勝利が続いていたのに、こんなに形勢というものは逆転するのですね。
深慮遠謀
関羽は成都の援軍を待って荊州街道に野営していた。部下が呂蒙とはよしみもあるので同盟できぬか使者を送っては、と進言し、使者が呂蒙に会う。
だが、呂蒙には狙いがあった。
呂蒙はそこまで考えていましたか。
41巻のネタバレ有りレビュー
2012年3月21日 | コミック31-60巻のあらすじと感想|コメント(0)