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52巻のネタバレ有りレビュー

52巻のネタバレ有りレビュー

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相談を受けた申耽と申儀ですが、内心では魏を裏切る意思はありませんでした。しかし、あのときに断れば殺されたというのは本当だと思います。

申耽たちは、司馬懿に報告することにします。

孔明は司馬懿の復帰を聞き、彼なら曹叡の許可を得ずにすぐに攻め込んでくると忠告しますが、孟達は深刻に考えていません。

司馬懿は申儀の家の者から手紙を受け取り孟達を捕らえに行きます。そして新城に行く途中、徐晃軍と会い、加勢してもらいます。これはさらに蜀にとってマイナスです。

司馬懿は孔明が孟達に宛てた手紙を持った使者を捕まえます。その手紙を読んで、孟達が孔明の指図どおりに動いていれば魏は危なかったとつぶやきました。


孟達の死

徐晃軍は打ち破った孟達ですが、仲達軍が現れます。そこへ申耽と申儀が駆けつけ喜ぶ孟達。しかし、申耽たちは孟達を襲い、城内に逃げこもうとした孟達は甥に裏切られて入れません。

力尽きた孟達は殺され、彼の叛乱は終わってしまいました。申耽たちが、自分の思うほど孟達に心服していなかったことが失敗の最大の原因といえます。

司馬懿はこの功により、火急の時には曹叡の許可を得なくても兵を動かせるという特権を与えられたのです。

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手の読み合い

司馬懿は、箕谷(きこく)に伏兵を置き、ビ城を曹真に守らせます。また、蜀の食糧補給路である街亭(がいてい)を自分が攻めることにします。

一方の孔明は、街亭を司馬懿が狙うと読み、名乗りでた馬謖(ばしょく)を守りに生かせることにしますが、念のため慎重な王平を副将にします。こうして馬謖は25000の兵で勇んで出陣しました。

それでも安心しきれない孔明は高翔に1万の兵を与えて近くの城に入らせ、魏延には街亭の後詰を命じます。

趙雲には箕谷に行かせて、孔明は斜谷を通ってビ城を攻めるという作戦です。

ご存知の通り、結果から言えば馬謖を主将にしたのは失敗でした。


馬謖の大いなる過ち

馬謖軍は街亭に着きます。ここの地形をみた馬謖は、孔明の策をあざわらい、命令に反して高山に布陣すると言い出します。

王平はそれは孔明の指示に反する、砦を築いて山道を遮断すべきだと説きますが、馬謖は兵法にも高山に陣取れとあるといって聞きません。

やむなく王平は5千の兵で別働隊として控えることにします。

確かに戦いにおいては高地に陣取ったほうが有利です。見晴らしが聞きますし、飛び道具で攻撃するにも上から下に射るほうが狙いを定めやすく、打撃力もあります。

しかし、そもそも馬謖は孔明がなぜ街亭を死守せよといったのかすらわかっていなかったようですね。おそらく、街亭から西には蜀の食糧生産地があり、そこから食糧を各軍に補給していたのだと思います。

そのため、街亭で魏軍を食い止めれば、そこから先の食糧は盤石ですが、もしここを破られれば魏が食糧生産地や補給路を占領してしまい、蜀の補給が止まってしまうというわけです。

大軍を動かすには、それだけ食糧が必要になります。つまり街亭が蜀軍の命運を握っているわけです。

それなのに馬謖にはこの地の重要性がわかりませんでした。そして、ここは山地ですから、山道を遮断するように陣を敷けば、敵は細い山路を通るしか有りませんから、蜀軍はそこを通ろうとする魏軍を弓矢で狙い撃ちすれば足りるわけです。

要は道を塞いで、通れなくすればそれだけで街亭は守れるのです。ところが馬謖は生兵法にとらわれて、道を塞がずに、山の高いところに陣取ってしまいました。

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地の利を生かさない愚

孫子にも兵法は臨機応変に使えと書いてあるのに、ただ高いところに陣取ればよいと馬謖は思ってしまったようです。やはり実戦を経験したことのないこの男には無理だったと言わざるをえません。

地の利を生かして、ただ道を塞いで陣取ればよかったのに。司馬懿は馬謖が高山に陣取ったのをみて、それを包囲してしまいます。

これを知った馬謖は山を降りて戦おうとしますが、そこに司馬懿は火計を使います。火は高いところに上がるので、高山にまとまって陣取った馬謖軍には痛手です。

これを見た王平軍は援軍に向かいますが、張郃軍に阻まれて陣を守るしかありません。

馬謖軍は水の補給ができなくなり、兵がどんどん脱走します。孔明の行った通りに陣を敷いていれば、そもそも魏兵は入ってこれません。ところが馬謖は道を塞がなかったので、水のあるところも魏に取られてしまったのです。

馬謖は討って出ますが、司馬懿軍に包囲されます。しかしここに魏延が援軍で現れますが、魏延軍も包囲されます。

高翔軍が駆けつけたことで両軍は混戦となり、蜀軍は大敗、しかたなく陽平関に向かいます。

ここで面白いのが曹真。彼は司馬懿ばかりに手柄を取られるのを恐れて、郭淮に列柳城(れつりゅうじょう)を取らせようと思います。しかし、司馬懿はそれを読んで、とっくにここを占拠していました。

馬謖は策を作り、砦を作って細い山道をすべて遮断し、近づいてきた魏軍は狙い撃ちにすればそれでよかったのです。ところが孔明の指示を無視し、自らの経験のなさを顧みず、兵法の理論をうのみにした非合理的な布陣をしてしまい、すべてを台無しにしました。


西城

孔明は、将たちに命令を出してから、西城(さいじょう)に向かいます。ここは蜀軍の食糧保管庫になっており、ここの食糧を漢中に向けて運び出すためです。しかしここに司馬懿の15万の大軍が来ます。

孔明は、城を無人に見せて城門を開け、自分は琴を弾くという意外な手段を採ります。これを見た仲達は、慎重な孔明がこんなことをするとは、敵に策があるに違いないと考えて退却します。

この話はさすがにできすぎだとは思いますが、それだけ司馬懿が孔明を恐れていたともいえます。司馬懿も慎重な人物ですから、ここでリスクを犯す必要はないと考えた可能性はあります。

司馬懿たちはあわてて武功山から退却し、張苞と関興は戦利品を持って陽平関に引き上げます。

曹真は蜀の撤退を知って追撃を陳造(ちんぞう)に任せますが、そこには馬岱の伏兵がおり、陳造はあえなく返り討ちに。曹真も姜維の攻撃を受けて退却します。

箕谷では、趙雲が殿(しんがり)を引き受けて、鄧芝(とうし)軍を先に引き上げさせます。そして、細い山道で陣取った趙雲は、敵将を殺し、敵兵を追っ払うのでした。

こうして蜀軍は退却できましたが、馬謖の罪は重いです。孔明は馬謖の兄である馬良と親しくしており、馬兄弟の中でも才能にあふれた馬謖を高く評価していました。

また、馬謖も南蛮行のときに「心を攻めるのが上策」と言ったり、司馬懿を失脚させるために離間の策を使ったりとその期待に答えました。

そのため、彼なら大丈夫だろうと思って孔明も馬謖に任せてしまったのでしょう。結果論になりますが、慎重で経験豊かな王平を主将にして、副将を馬謖にすればよかったのではないかと思ってしまいます。

司馬懿は蜀軍が撤退したのを見届けて、西城に入ります。そこの住民から敵は非常に手薄だったことを知り、孔明の智謀の深さに恐れいったのでした。

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