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59巻のネタバレ有りレビュー

59巻のネタバレ有りレビュー

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孔明は、魏延の訴えを聞き、馬岱を呼びます。孔明は、味方が全員脱出したのを見てからコロ谷の入り口を塞ぐように命令したのに、それに背いたとして、馬岱に50杖の刑を言い渡し、一兵卒に落とします。

これに驚いたのが馬岱。自分は何も命令違反をしていないからです。馬岱に罰が加えられたのをみて、魏延は黙って帰ります。

馬岱と部下は、孔明のあまりのやり方に憤っていました。そこへ孔明の使者がやってきます。

使者は馬岱に、魏延を殺そうとしたのに雨が降ったために果たせなかったこと、ここで魏延を殺せば彼の部下が反乱を起こすので殺せないこと、魏延の気を静めるために無実の馬岱に責めを負わせたことを明かします。

そして、後日馬岱の恥をそそぐ機会を必ず設けるため、甘受して欲しいと頼むのです。

それを聞いた馬岱は、事情を理解して承諾します。馬岱の名言「そうか、丞相もつらい立場であられたのだな」。

魏延は、孔明に馬岱を自分の部下にしたいと言います。馬岱の一件が芝居だと見ているのです。馬岱は「それがしが耐えることが蜀のためになるのなら、もうひとつ耐えることも苦痛ではございませぬ」と静かに語り、承諾します。

無実の罪を着せられながら、孔明の苦しい立場を察し、国のために進んで協力する馬岱。彼は本当に忠義の士です。

馬岱は馬超とともに行き場のなくなっていたところを劉備に登用され、厚くもてなされました。その恩義が彼の心に強く残っていたのかもしれません。

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諸葛亮の命数

司馬懿は孔明の手紙に怒りますが、これは彼の策略だと気づいたのでしょう。平静を装い、使者をもてなします。

使者から孔明は食事をとるひまもなく忙しく働き、また細かな決裁まで自分で行うと聞き、孔明の命は長くないと悟ります。

使者もそんなことまで馬鹿正直に答えなくても、と思ってしまいますが、仕方ないですね。

孔明の部下も、丞相は働きすぎるからもっと体を休めてくださいと言います。それに答えた諸葛亮の名言「先帝の重恩を思い蜀中にある陛下の御行末を考えると、眠りについても眠れぬのだ」。

蜀の運営という重荷を、ほとんど孔明が背負っています。彼はあまり体が強くなかったので、この激務はなおさらこたえたと思います。

守屋洋氏の「十八史略の人物列伝」と言う本に、名君のほまれ高い清の康熙帝(こうきてい)の話がついています。彼は、帝王たるものにはずっしりと重荷がかかっているので、生涯心が休まらず、死ぬまで休息が許されないと語っています。

名君や名宰相であればあるほど、心身にかかる負担が大きいのですね。劉禅など、酒と女におぼれてさぞ負担の少ない人生を生きたことでしょう。

司馬懿は、敵が東の武功に出れば、大勝か玉砕かを選んだということなので魏も警戒しないといけないと考えていました。しかし、孔明は西の五丈原に出ました。司馬懿は、孔明が持久戦を選んだと考え、喜びます。

司馬懿は、味方の将兵が敵の侮辱に耐えられなくなってきたので、曹叡に手紙を送り、出撃して良いか問います。辛毘(しんぴ)は司馬懿は実は出撃せずに持久戦を続けたいが、陣内の不満を抑えるためにこの手紙を出したと見抜きます。

これはみごとな読みでした。曹叡の命令とあらば、逆らうことはできないからです。

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延命の儀式

孔明はショックのせいか、大きく体調を崩してしまいます。医者の治療で少し回復しますが、夜空を見て、自分の寿命が尽きかけていることを悟ります。

姜維は寿命をのばす儀式を行うように進言し、孔明はそれを行います。食を断ち、祭壇を設けて七日間祈ります。それを終えれば12年寿命が伸びるというものです。

この儀式が無事に終わり、あと12年孔明が健康で生きられたなら、三国時代の結末は変わっていたことでしょう。

しかし、司馬懿も天文を読み、孔明が健在かを探らせるために兵を出します。これを知った魏延が静止を振りきって祭壇のところに行ったことで、ろうそくが消えてしまいます。

怒る姜維は魏延を斬ろうとしますが、孔明はやめよ、と制止します。儀式は失敗してしまったのです。

これも天命と考えた孔明は、著した24編の書物を姜維に託します。泣きながら受け取る姜維の姿が印象的です。

ちなみに孔明の著書と言われるものは現在でもあるようで、「諸葛亮集」を守屋洋氏が翻訳したものを私も持っています。便宜十六策の一部などが掲載されています。

ただ、内容を読むと、守屋氏も指摘されていますが、孔明本人が書いたものかは疑問です。正直なところ内容が凡庸で、過去の兵法書の内容に似た箇所が多いからです。

もし間違いなく彼の著作だというものがあれば、ぜひ読みたいのですが。

孔明は馬岱を呼び、自分の死後、魏延が反乱を起こすだろうと言い、その対策を伝えます。


喀血

次に楊儀を呼びますが、孔明は喀血をしてしまいます。彼の容態は悪化してしまいました。

劉備の悲願であった漢室復興と民のための政治を実現させるために、文字通り命を削って休みなく働いてきた孔明。無理がたたって彼の病は重くなってしまいました。

私は三国志で孔明が一番好きなだけに、このあたりの場面は読むのがつらいです。

61ページ1コマ目、彼の心情をよく表している場面です。自分が死んでしまうということだけでなく、蜀の今後を心配したことでしょう。

62ページの孔明の名言「生あるものは必ず滅ぶ。悲しむことではない。また死を恐れるものでもない。自然に帰っていくのだからのう」。そのとおりですが、やはり孔明が死んでしまうのは悲しいです。


孔明の最期

楊儀に劉禅は劉備のような苦労をされていないので、劉備を手本として政治をするようにおすすめするように、と孔明は言います。

孔明は将兵たちに自分の元気な姿を見せたいと、陣中を見回ります。それは死期の近づいていることを感じさせない、毅然とした姿でした。

その後、帝への遺言をしたため、蜀軍が撤退するための方策を指示した後、孔明は外に出ます。

そして、煌々と輝く彼の宿星が落ちたとき、孔明も息を引き取ったのです。享年54歳でした。

漢朝の再興を願い、広大な中国大陸を駆け抜けてきた劉備、関羽、張飛、趙雲、馬超。彼らはすでにこの世を去り、孔明という巨星もついに墜ちました。

96ページの孔明の名言「あの蒼空、極(きわみ)はいずこであろうのう」。


蜀軍の退却

彼の喪は伏せられ、静かに蜀軍は退却を始めます。魏延が夢で悩んでいるので、趙直がそれは吉夢だとアドバイスします。

しかし、彼は費禕には、実は凶夢だと打ち明けます。角は刀を用いると書きます。頭に刀を使えば、首が落ちるというわけです。面白いです。

魏延は楊儀が軍の指揮を執り、姜維が兵法を託されたと聞いて怒ります。楊儀は丞相の遺言を無視するとはと怒り、姜維にしんがりを命じて撤退を始めます。

さっそく魏延の反乱精神に火がつきました。

急いで後を追う司馬懿ですが、そこにドラの音と共に、諸葛孔明の姿が。司馬懿はまたも孔明に騙されたと思い、退却を命じますが、姜維に襲い掛かられます。

急いで逃げた仲達は、孔明のひつぎを見たという住民の話を聞き、またも孔明にはかられたことを知ります。これが「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という故事です。

再び司馬懿は追撃をしますが、すでに蜀軍の姿はありませんでした。それよりも、彼は孔明の残した陣を見て、「見事なものじゃ。みな法にかなっている。まさに天才」とつぶやきます。

そして、「恐らくこの地上に再び孔明のごとき人物を見ることはあるまい」というのでした。この場面はとても静かで、とても印象的です。

司馬懿の言葉通り、孔明の死後、彼のごとき人物は出ていないと私も思います。司馬懿はその後、長安に引き揚げました。


魏延の企み

成都には、魏延と楊儀双方からの手紙が来ていました。李福たちは、楊儀は謀反をたくらむような人物ではないが、魏延は可能性があると言います。

帝は、董允(とういん)を和睦の使者として出します。

ちなみに蜀の桟道は、崖に作られた細い道です。蜀は山岳地帯なので天然の要塞だったのですが、それだけに交通が不便です。孔明も物資の輸送にはかなり苦労したことでしょう。

王平は魏延の兵に、故郷の家族のためにも、反逆者となるか、成都に帰って恩賞にあずかるかどちらだ、と語りかけます。しかし魏延は弱腰になった兵を斬って服従させます。

魏延と王平の一騎討ちになり、さすがに王平は撤退します。しかし、その夜、魏延の兵は半分が脱走してしまいます。王平の作戦が的中したわけです。

魏延はいっそ魏に降ろうかと言いますが、馬岱はそうすれば魏の一将として終わる。それより漢中を取れば蜀も取れると説得します。彼は魏延が魏に走らないように孔明に頼まれましたから、役目をしっかり果たしているのです。


魏延の死

魏延たちは、漢中で楊儀たちの前に姿を現します。そのとき、楊儀は孔明より授けられた袋を思い出します。

そこで魏延は、わしを殺せる者があるかと叫びます。すると、背後にいた馬岱がここにいるぞといい、一閃の下魏延を斬り殺したのです。

私は初めてこの場面を読んだとき、おおそういうことか、と感動したものです。ここまで孔明は気を配り、先を読んでいたのです。そして、一兵卒に落とされながら孔明のために我慢をしていた馬岱の忠義も素晴らしいです。

こうして蜀軍は成都に帰ります。

孔明は、かつて黄忠と法正が夏侯淵から奪った漢中の定軍山に、質素な墓を北に向けてつくるように遺言していました。

それについて、222ページに「北方を睨んで建てよ。それは孔明が、玄徳の遺志を自分の力で果たせず、無念の涙をのんだ気持ちの現われだった」とあります。

まことに、彼の無念さはいかばかりだったでしょうか。1800年ほど昔を生きた天才軍師に思いを馳せます。

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